黒田藤巴を、長溥の印と工芸品から読む。
長溥の印に入った藤巴
福岡市博物館は、黒田長溥が明治期に用いた印に藤巴が入る例を紹介します。江戸時代には白餅が表紋、藤巴が替紋であった一方、近代以降は藤巴の使用が目立つと説明します。同じ家の代表的な紋という見え方も、時代によって変わることが分かります。[1]
牢窓の藤という物語の出典
官兵衛が有岡城で藤の花に励まされたという話について、同館は確認できる古い紹介を大正時代の『黒田如水伝』とします。同時代の記録による採用理由の確定とはせず、伝承がどの時代の本に見えるかを残して紹介しています。[1]
名称資料に載る情報
掲載名は「黒田藤巴」、読みは「くろだふじどもえ」。参照図鑑の分類は「藤」です。
家紋のいろは「黒田藤巴」の掲載情報。使用者欄は同図鑑の記載で、史料・所蔵品解説とは根拠が異なります。
- 戦国期の人物(図鑑記載)
- 黒田官兵衛、黒田長政
- 大名・旗本・公家等(図鑑記載)
- 筑前福岡藩黒田氏の定紋
- 姓氏(図鑑記載)
- 黒田
似た名の紋を見比べる
関連名の候補です。同一図柄・同一家系の判定ではありません。解説の出典
- 福岡市博物館「藤と餅~黒田家家紋のものがたり~」 ↗2014年企画展示解説・家紋の使用例と表紋・替紋 / 自治体・博物館の解説





